東京高等裁判所 昭和28年(う)3059号 判決
被告人 秋山桂一
〔抄 録〕
論旨第二点の(イ)について。
所論は、本件において有効な抵当権が存在することが詐欺罪の成立要件であるところ、原判決は、本件工場抵当法第三条による抵当権を無効であると認定しながら、無効な抵当権の登記のある本件物件を売却するに当つてなおかつ相手方にこの抵当権設定並びに登記存在を告知すべき義務ありとして本件詐欺罪の成立を認めたのは法令の解釈適用を誤つた違法があると主張するのである。よつて按ずるに単純な事実を黙秘することによつて他人に錯誤を生ぜしめたことを手段とするいわゆる不作為による詐欺罪の成立するためには、例えば商法上保険契約締結の際の告知義務のように、その前提として法律上その事実を告知する義務の存することを必要とすることはまさに所論のとおりであるけれども、真実を告知するにおいては相手方が財物を交付しないことを察知しながら、真実に反する事実を告知し相手方を錯誤に陷れ因て財物を交付させた詐欺の場合においては右の如き意味の法律上の告知義務の存在を必要とするものではない。本件において原判決の認定した詐欺の事実は、右に述べる後者の場合に該当するものであつて、論旨第一点において説明したとおり、相手方から抵当権の設定並びにその登記の存在の有無について確かめられた際、被告人は相手方においてこの事実を知つたなら売買に応じないであらうことを察知しながら、左様な事実はないと積極的に回答して相手方を無負担の物件と誤信させたものであるから前記説明のとおり詐欺罪は被告人が所論の告知義務を有するか否かを検討するまでもなく、それに基く本件金員の受領によつて成立するものである。而して論旨第一点に掲げた証人堀川政五郎の原審における証言その他によれば、本件抵当権設定並びにその登記手続は、右堀川と被告人等合意の上真実に三重販連の債権確保のため抵当権を設定する意思でその手続を了し少くとも悪意をもつて抵当権設定を仮装したものでないことが明らかであるから、後になつて被告人側においてその無効であることを信じているとしても、(しかしこの三重販連の日本化工に対する前記債権延いて本件抵当権設定が農業協同組合法に違反し無効であるかどうかは目下民事訴訟で争われており終局判決において確定されていない)、本件日本化工の当時の状態のように多額の負債を有し営業不振であることが明らかである者が、その所有財産を整理のため他に売却する場合においては、その財産について抵当権が設定してあるとかその他の負担をもつているものが往々にして存することは、通常見かけられる事例であるから買受人の側でその有無を確かめた上で売買取引をするのが常識であつて(さればこそ現に前に述べたように山田、斎藤は特にこの点を被告人に念を押しているのである。)、かくの如き場合少くとも抵当権の登記の存在する以上その有効無効にかかわらず売主の側においてもむしろ相手方から求められなくとも進んで抵当権設定並びにその登記の事実を明らかにすることが具体的な法律上の義務といえないまでも信義誠実を旨とする取引の通念上当然の事理であるといわなければならない。蓋し、たとえ無効の抵当権であつてもこれが設定の登記が存在する以上後日この存在の故に買受人の側で完全な所有権の行使ができないことも有り得べき事柄であり又その抹消登記手続をなすために相当の日時と労力と費用を要し、場合によつては民事訴訟を提起し勝訴の確定判決を得なければその目的を達しない場合さえ生じ、従つてその財産上の損失も多大にのぼることも予想されるからである。(現に本件において山田、斎藤において本件物件買受後右物件について幾多の紛争を生じこれが引渡を容易に受け得なかつたことは記録上洵に明らかである。)この点について原判決末尾の被告人及び弁護人の弁疏に対し説示するところは抵当権の無効を断定し法律上の告知義務という言葉を使用しその辞句において稍々妥当を欠く嫌いがあるけれども、これを熟読すればその趣旨とするところも亦右に述べたところと同一に帰するものと解されこれを瑕疵と称すべきものではない。これを要するに所論は、本件において抵当権が有効に存在することが詐欺罪成立の要件であるとの独自の見解を前提として正当な原判決の法令の解釈適用を攻撃するものであつて採用の限りでない故論旨は理由がない。
二、論旨第二点の(ロ)について、
詐欺罪の本質は、欺罔手段に因る財物の騙取又は利得たる点にあつて、且つそれをもつて足りるものであると解するのが正当であるから、被害者に対して財産上の損害を蒙らせたかどうかは詐欺罪の成立に関係のない問題である。所論は、本件において抵当権は実質上無効であるから、山田、斎藤が被告人から買い受けた物件はいずれも瑕疵のない物件を有効に買い受けその所有権を取得した以上両者には何ら財産上の損害はない、従つて詐欺罪は成立しないと主張するのであるが、前に述べたところに照し独自の見解に立つ所論は、採用するに由のないものである。論旨は、理由がない。中略
三、論旨第四点の(ロ)について、
先ず所論は、原判決が変圧器四基を三井化学から賃借した日時を昭和二十一年四月十二日頃と認定したことを事実誤認なりと非難するのである。なるほど本件記録を精査すれば、日本化工が静岡工場において製塩事業を開始するに当り三井化学においてこれを全面的に援助するため人的並びに物的に資材を供給することとなつて、被告人の依頼によりその一部として本件変圧器四基を日本化工において三井化学から東京都内で受領したのは昭和二十年十二月であるが、静岡工場には昭和二十一年一月十八日頃到着していること洵に所論のとおりである。然しながら更に諸般の証拠によれば、正式に賃貸期間及び賃貸料を協定して賃貸借契約を締結したのが原判決認定の昭和二十一年四月十二日頃であることも明瞭であるところ、所論のような事情によつて契約書を二通作成し一通を昭和二十年十月十五日付としたことも明らかである。従つて原判決が正式に賃貸借契約を締結した日をもつて賃貸借の始期としたことも決して誤りではないわけである。何となれば横領罪の成立するには他人所有のものを自己において占有することが必要なわけであつて、原判決は、被告人が占有する変圧器が他人の所有であることを判示するために所有者三井化学から賃借中のものであることを現わすのに右日時を記載したものであるから、右要件を記載するための表示としてはこれをもつて足りるものであるからである。而して横領罪の構成要件たる他人の物を占有するに至りたる原因が当事者間の委託行為に基く場合においてその委託が民法第七百八条のいわゆる不法原因給付にあたる場合は、民法上の効果としては給付者返還請求その他権利行為をなし得ないこと所論のとおりであるが、刑罰法上の関係においては、これとは別個に考察さるべきものであつて、苟しくも他人の物を占有する者がこれを不法に領得するにおいては、その他人の物を占有する原因たる委託が不法原因給付であると否を問わず横領罪の成立を肯認すべきものと解するのが相当である。所論は本件賃貸借に関し所論理由によつて大蔵大臣の許可のない賃貸借、すなわち財産処分であるからそれは法律上無効であるばかりでなく公序良俗に反する脱法行為であつて、これによつて他人に占有を移した物件であるから、不法原因給付となり三井化学は、その返還の請求権を有しない故に被告人がこれを処分しても横領罪を構成しないと主張するのであるが、本件において、たとえ、右賃貸借が所論のとおり無効且つ公序良俗に反する脱法行為であるとしても日本化工が委託によつて占有を開始した本件変圧器が他人のものであることには何ら変りないのであるから、被告人において擅にこれを他に売却処分するにおいてはその所為は正しく横領罪を構成するものであつて、原判決がその挙示する証拠によつて被告人の横領の犯行を認定し、これに対し刑法第二百五十二条第一項をもつて問擬したことは洵に正当であつて所論のような違法の廉はない。論旨は理由がない。
註 本件破棄は量刑不当。